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A1 いいえ。確実に放射線の被ばくの危険がある地域に電車を通すことは何があっても許されません。
万が一、事故で電車が止まって、住民が外で長時間待機することになれば、高線量地帯での
被ばくすることになります。負傷者が多数出て緊急搬送するにしても福島市やいわき市まで
行かないと対応できる病院がないため助かる命も助からなくなります。
実際に常磐道で起きたバス事故では、そうした事態が現実に起きています。そんな地域は
再生させることに対しても反対しなければいけません。
Q2 自分は富岡の住民ではないし、電車には乗らないから大丈夫では?
A2 いいえ。避難指示の解除の前には多数の業種の労働者が富岡町での仕事に従事させられて
きました。まず、建設業なら除染、家屋解体。次に電気、ガス、水道などのインフラ労働者。
そして、宅配便、ガソリンスタンド、銀行、新聞配達などのサービス業の労働者です。
町を復興させるには、あらゆる職種の労働者の動員が必要です。
だから、いつあなたも会社から高線量地帯で働けと業務命令が来るかわからない状況です。
それらの被曝労働に対して、動労水戸の闘いを他業種に拡大させるために集会に参加していただきたいです。
Q3 仕事も忙しいし、気持ちの余裕も無いのに集会に参加する必要はありますか?
A3 はい。現在、多くの労働者は低賃金長時間労働で身も心もボロボロになっています。
それに対して少しでも文句を言ったり、能力不足で労働者は簡単に解雇されます。
その状況と闘うには労働者が、組合を作って集団で会社側と闘う必要があります。それが労働組合です。労働運動を再生させるためにも、この集会を皆さんの参加で盛り上げて頂きたいです。
30年前に国鉄がJRになる過程で労働運動全体が大きく衰退しました。その結果、組合が無い職場や、あっても正社員しか入れない組合が増えました。
職場の組合に相談しても「辛いのはあなただけじゃない。全体のための賃上げやボーナスアップしかやらない」と取り合わないことってありませんか?そんな 腐った組合幹部を倒す ため、
闘ういわき合同ユニオンに結集しよう!!
いわき合同ユニオンでは日々の職場で辛いこと、おかしいと思っていることを正直に話せる場所があります。それは決して恥ずかしいことや後ろめたいことではありません。あなたの上げた声を「勇気ある決起」と捉えてとことん議論を尽くして最後まで闘います。
普通に働く労働者にこそ、この時代を変える展望があるのです!!!
この日もK君とユニオンの仲間はYGKの工場門前に登場し、ビラまきからの一日行動でした。新卒で同期入社した仲間と打ち解けたり、品質管理課の先輩からも「頑張って」という励ましの言葉をもらったりすることができました。解雇されてから2年半堂々と闘ってきたことに加えて、先日の証人尋問の時も朝ビラをしたことで、近い期日に何回も会う中で距離がグッと縮まりました。
今回の結審では、発言する機会を特別に裁判所に得ることができました。陳述の詳しい内容は次号の ビラ掲載版でご覧下さい。
この裁判は3年前の年末、会社側が一方的に解雇は正当だという「お墨付き」を得るためにK君を提訴して始まりました。ユニオンは即座に支援共闘会議を立ち上げて、決然としてこの裁判を受けて立ちました。それから、街頭に打って出て宣伝をしてきたことが大きな武器になりました。通常は解雇になると実家に戻らざるを得ずに、引きこもりや家庭内外での事件が社会問題となっています。青年の生活だけでなく、命や人生、人間的な成長の場さえ職場から無くなりつつある社会となっています。その中で、職場を超えて地域で闘う労働組合の存在は無くてはならないものです。この裁判闘争は、この拠点をさらに強く、大きなものと成長させてくれました。街宣の中で同じように職場で厳しい立場で奮闘する女性労働者と出会って、ユニオンへの加入を勝ち取りました。
この日までに集まった署名の1020筆は「いわき」という労働者の街の力に支えられてここまで闘ってくることが出来ました。しかし、会社は署名受け取りを拒否して地元の声をむげにしました。絶対に許せません。4月に2回あった証人尋問では、両日ともに大勢の仲間が大結集して会社に対して常に攻勢で圧倒しました。
その後の交流会も大盛況でした。団結の場では、仲間たちも職場や地域で様々な辛い思いを抱えながらも「諦めたくない」と労働者としての誇りを持っていることをお互いに確認しました。そして、この社会で誰もが持っている「怒り」「社会への思い」を一つの大きな声としてまとめることができれば、パククネ政権を打倒した韓国のような情勢を生み出せる展望が開けました。それに責任を取りきるのが私たちユニオンに求められています。家族からは、ユニオンでの闘いから学んだことへの感謝とその地平を職場や今後の闘いに活かして青年を獲得していってほしいとエールが送られました。組合員の男性も涙ながらに「息子のいない私にとって、このユニオンは唯一の生きる場所なんだ。K君の家族は本当にいい家族だ」と言っていました。
裁判闘争の勝利まで、最後まで全力で闘っていきます。
K君は3年前の4月に、新卒で東京からいわき市の有機合成薬品工業(YGK)に採用されて「能力不足」を理由に試用期間を2回延長の後に入社からわずか7か月で解雇されました。解雇から2年半、法廷での冒頭意見陳述から1年半が経ってもいわきの地で解雇撤回を闘い続けています。
工場門前に再び登場
裁判は両日ともに工場門前での朝ビラから一日行動を貫徹しました。K君とユニオンの仲間が通勤してくるYGK労働者と合流し、「元気か?」と声をかけてくる人がいました。これまでビラを受け取らなかった品質管理課の同僚が次々にビラを受け取りました。尋問に先立って出された陳述書には、7人もの現場労働者が名を連ねて会社は全員を証人申請してきたため、これまでに無い関心の高まりでした。
会社側は傍聴に工場の労働者7人と東京本社からも2人を動員していました。K君は品質管理課で、工場で生産した薬品の品質を化学分析などで保証する仕事を担当する予定でしたが、実験の技量が会社の求めるレベルに達しなかったとして「能力不足」とされました。
6日 会社側の尋問
会社側の証言は、5年ぶりに配属された新卒社員を一人前に育てる責任を放棄して、解雇や裁判自体をも現場労働者に対する団結破壊と支配に利用しようとする会社の姿勢が改めてはっきりしました。K君が実験やその他の業務中に犯したとされる失敗を詳細に挙げて、指導役への反発など勤務態度も悪くて解雇は正当だったという主張でした。在籍当時、品質管理課では分析操作が最優先で、それが出来ていないにも関わらず新たに英文和訳を課しました。和訳自体、会社の指示ではなく課長独自の判断でした。課長は、分析操作に専念させなかった理由を答えられず「個々の労働者について業務のバランスについて指示することはない」と開き直りました。
配置転換をしなかった理由
人事部長の尋問でも配置転換の有無について問題になりました。会社側は配置転換の可能性について検討していろいろな業務をやらせたと聞いているとごまかしていました。しかし、実際はどこの課にも異動せずに同じ課で英文和訳をやらせただけでした。
配置転換については本社内で検討もされていなかったことが明らかになりました。試用期間延長から解雇に至る流れは、配属後1週間の4月末から5月初めの時点で「仕事が出来ない」という報告が現場から本社に上がっていたことがきっかけでした。異動しなかった理由について、試用期間中は適性を「時間をかけて慎重に判断するため」だったことを挙げていました。しかし、その理由ではなおさら解雇せずに丁寧に分析操作について再教育する必要が生じるため会社が下した「解雇」という決定とますます矛盾が深まって完全に主張が破綻しています。
20日 原告K君の証人尋問
原告K君の尋問では、朝早くから分析操作の練習を重ねてきたことなど仕事に対して懸命に取り組んできたことを主張しました。また、出来ていない手技について実技指導をお願いしても、十分な指導が受けられずに、試用期間延長や解雇に際しても具体的な目標やそれに向けた教育が無いまま解雇ありきで話が進んでいたことが非常に心残りだと発言しました。
もし、早くから分析技術を直接指導されていたならもっと手技は向上して会社の役に立てていたかもしれません。仕事が出来ていなければ、繰り返しの指導によって改善の余地はいくらでもあるはずです。一度解雇になれば、人生を左右するような取り返しのつかないことです。
この裁判は、特に青年労働者が仕事の技術だけでなく人間的にも成長できる職場を取り戻す闘いだと考えております。青年は高い学費を払って大学に行っても、奨学金や就活などで苦しみ、就職できても非正規化や解雇などで自分の生活を支えることすら困難です。
社会を動かしているのは労働者の団結した力です。その労働者に対する教育こそが、社会全体の安全や豊かさを支える全ての源です。この裁判に勝利するために7月20日の結審に向けて凱旋の継続と、署名提出行動に取り組みました。
K君は3年前の4月に、新卒で東京からいわき市の有機合成薬品工業(YGK)に採用されて「能力不足」を理由に試用期間を2回延長の後に入社からわずか7か月で解雇されました。解雇から2年半、法廷での冒頭意見陳述から1年半が経ってもいわきの地で解雇撤回を闘い続けています。
工場門前に再び登場
裁判は両日ともに工場門前での朝ビラから一日行動を貫徹しました。K君とユニオンの仲間が通勤してくるYGK労働者と合流し、「元気か?」と声をかけてくる人がいました。これまでビラを受け取らなかった品質管理課の同僚が次々にビラを受け取りました。尋問に先立って出された陳述書には、7人もの現場労働者が名を連ねて会社は全員を証人申請してきたため、これまでに無い関心の高まりでした。
会社側は傍聴に工場の労働者7人と東京本社からも2人を動員していました。K君は品質管理課で、工場で生産した薬品の品質を化学分析などで保証する仕事を担当する予定でしたが、実験の技量が会社の求めるレベルに達しなかったとして「能力不足」とされました。
6日 会社側の尋問
会社側の証言は、5年ぶりに配属された新卒社員を一人前に育てる責任を放棄して、解雇や裁判自体をも現場労働者に対する団結破壊と支配に利用しようとする会社の姿勢が改めてはっきりしました。K君が実験やその他の業務中に犯したとされる失敗を詳細に挙げて、指導役への反発など勤務態度も悪くて解雇は正当だったという主張でした。在籍当時、品質管理課では分析操作が最優先で、それが出来ていないにも関わらず新たに英文和訳を課しました。和訳自体、会社の指示ではなく課長独自の判断でした。課長は、分析操作に専念させなかった理由を答えられず「個々の労働者について業務のバランスについて指示することはない」と開き直りました。
配置転換をしなかった理由
人事部長の尋問でも配置転換の有無について問題になりました。会社側は配置転換の可能性について検討していろいろな業務をやらせたと聞いているとごまかしていました。しかし、実際はどこの課にも異動せずに同じ課で英文和訳をやらせただけでした。
配置転換については本社内で検討もされていなかったことが明らかになりました。試用期間延長から解雇に至る流れは、配属後1週間の4月末から5月初めの時点で「仕事が出来ない」という報告が現場から本社に上がっていたことがきっかけでした。異動しなかった理由について、試用期間中は適性を「時間をかけて慎重に判断するため」だったことを挙げていました。しかし、その理由ではなおさら解雇せずに丁寧に分析操作について再教育する必要が生じるため会社が下した「解雇」という決定とますます矛盾が深まって完全に主張が破綻しています。
20日 原告K君の証人尋問
原告K君の尋問では、朝早くから分析操作の練習を重ねてきたことなど仕事に対して懸命に取り組んできたことを主張しました。また、出来ていない手技について実技指導をお願いしても、十分な指導が受けられずに、試用期間延長や解雇に際しても具体的な目標やそれに向けた教育が無いまま解雇ありきで話が進んでいたことが非常に心残りだと発言しました。
もし、早くから分析技術を直接指導されていたならもっと手技は向上して会社の役に立てていたかもしれません。仕事が出来ていなければ、繰り返しの指導によって改善の余地はいくらでもあるはずです。一度解雇になれば、人生を左右するような取り返しのつかないことです。
この裁判は、特に青年労働者が仕事の技術だけでなく人間的にも成長できる職場を取り戻す闘いだと考えております。青年は高い学費を払って大学に行っても、奨学金や就活などで苦しみ、就職できても非正規化や解雇などで自分の生活を支えることすら困難です。
社会を動かしているのは労働者の団結した力です。その労働者に対する教育こそが、社会全体の安全や豊かさを支える全ての源です。この裁判に勝利するために7月20日の結審に向けて凱旋の継続と、署名提出行動に取り組みました。