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K君は3年前の4月に、新卒で東京からいわき市の有機合成薬品工業(YGK)に採用されて「能力不足」を理由に試用期間を2回延長の後に入社からわずか7か月で解雇されました。解雇から2年半、法廷での冒頭意見陳述から1年半が経ってもいわきの地で解雇撤回を闘い続けています。
工場門前に再び登場
裁判は両日ともに工場門前での朝ビラから一日行動を貫徹しました。K君とユニオンの仲間が通勤してくるYGK労働者と合流し、「元気か?」と声をかけてくる人がいました。これまでビラを受け取らなかった品質管理課の同僚が次々にビラを受け取りました。尋問に先立って出された陳述書には、7人もの現場労働者が名を連ねて会社は全員を証人申請してきたため、これまでに無い関心の高まりでした。
会社側は傍聴に工場の労働者7人と東京本社からも2人を動員していました。K君は品質管理課で、工場で生産した薬品の品質を化学分析などで保証する仕事を担当する予定でしたが、実験の技量が会社の求めるレベルに達しなかったとして「能力不足」とされました。
6日 会社側の尋問
会社側の証言は、5年ぶりに配属された新卒社員を一人前に育てる責任を放棄して、解雇や裁判自体をも現場労働者に対する団結破壊と支配に利用しようとする会社の姿勢が改めてはっきりしました。K君が実験やその他の業務中に犯したとされる失敗を詳細に挙げて、指導役への反発など勤務態度も悪くて解雇は正当だったという主張でした。在籍当時、品質管理課では分析操作が最優先で、それが出来ていないにも関わらず新たに英文和訳を課しました。和訳自体、会社の指示ではなく課長独自の判断でした。課長は、分析操作に専念させなかった理由を答えられず「個々の労働者について業務のバランスについて指示することはない」と開き直りました。
配置転換をしなかった理由
人事部長の尋問でも配置転換の有無について問題になりました。会社側は配置転換の可能性について検討していろいろな業務をやらせたと聞いているとごまかしていました。しかし、実際はどこの課にも異動せずに同じ課で英文和訳をやらせただけでした。
配置転換については本社内で検討もされていなかったことが明らかになりました。試用期間延長から解雇に至る流れは、配属後1週間の4月末から5月初めの時点で「仕事が出来ない」という報告が現場から本社に上がっていたことがきっかけでした。異動しなかった理由について、試用期間中は適性を「時間をかけて慎重に判断するため」だったことを挙げていました。しかし、その理由ではなおさら解雇せずに丁寧に分析操作について再教育する必要が生じるため会社が下した「解雇」という決定とますます矛盾が深まって完全に主張が破綻しています。
20日 原告K君の証人尋問
原告K君の尋問では、朝早くから分析操作の練習を重ねてきたことなど仕事に対して懸命に取り組んできたことを主張しました。また、出来ていない手技について実技指導をお願いしても、十分な指導が受けられずに、試用期間延長や解雇に際しても具体的な目標やそれに向けた教育が無いまま解雇ありきで話が進んでいたことが非常に心残りだと発言しました。
もし、早くから分析技術を直接指導されていたならもっと手技は向上して会社の役に立てていたかもしれません。仕事が出来ていなければ、繰り返しの指導によって改善の余地はいくらでもあるはずです。一度解雇になれば、人生を左右するような取り返しのつかないことです。
この裁判は、特に青年労働者が仕事の技術だけでなく人間的にも成長できる職場を取り戻す闘いだと考えております。青年は高い学費を払って大学に行っても、奨学金や就活などで苦しみ、就職できても非正規化や解雇などで自分の生活を支えることすら困難です。
社会を動かしているのは労働者の団結した力です。その労働者に対する教育こそが、社会全体の安全や豊かさを支える全ての源です。この裁判に勝利するために7月20日の結審に向けて凱旋の継続と、署名提出行動に取り組みました。
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