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いわきで3回目の対談集会が実現
5月20日、動労水戸平支部事務所で3回目の「原発労働者との対談集会」が開かれ、いわき合同ユニオン、動労水戸、福島の闘う仲間と東京から都庁レストラン闘争の柿沼さんも駆けつけての大盛況でした。
原発労働者の方は「無の槍」の著者でもある八里ヶ原氏です。県発行のリーフレット「廃炉のしおり」から2号機に起きた奇跡の話から始まりました。報道でよく見る原発の青と白の建屋は鉄骨の骨組みにビニールシートを被せただけのもので、内部でガスの圧力が高まると自動的に上の一部が開いてガスを逃がす仕組みになっていました。しかし、事故時に作動したのは2号機のみで他は作動せずに水素爆発を起こして建屋の上部が吹き飛んでしまいました。こうした、施工のずさんさや建屋のシートが船の帆のように風をはらんで崩壊する危険があることも予めわかっていたのにゼネコンは利益を優先して対策を取らなかった事を弾劾しました。
7年経っても危険な収束現場
原発の敷地内96%が通常の作業服で移動できるエリアになりました。しかし、原子炉の近くは人が砂のように崩れて無くなるほどの高線量で原爆の爆心地の10Sv/hを上回る線量になっています。原発労働者で白血病や甲状腺がんの労災認定がされていますが、技術者は限られた150人程がローテーションを組んで事故から8年目の今も生涯被ばく線量を超えて働かざるを得ない状況です。放射能以外にも、マスクの使いまわしで労働者に結核が蔓延している話も報道されない恐ろしい実態でした。
労働者の安全を守ることは原発事故の収束という、止まれば日本全体に人が住めなくなるような大事な仕事自体を守っていくこと。そのためには原発内に闘う労働組合が必要だと同氏は繰り返し訴え続けています。そして、それは福島に暮らす住民とりわけ子どもたちの健康を守る最有力な方法です。現にチェルノブイリでも原発労働者たちの闘いに周辺の町の労働者が呼応したことでチェルノブイリ法の制定にこぎ着けた歴史が証明しています。
被ばくから子どもを守れ
福島で闘う仲間は県外避難して、毎日片道2時間半かけながら通勤する傍ら養護施設で暮らす子どもたちの支援活動をしています。福島のお母さんたちは子どもを守る為に水や食べ物に細心の注意を払っていますが、養護施設や貧困問題のせいでそれができない子どもたちがいることに心を痛めていました。
他にも、地元の小中学校を回って養護教諭に学校検診の継続を訴えている方もいました。
避難指示の相次ぐ解除によって、避難者に対する補償が次々と打ち切られ線量の高い双葉郡に強制的に帰還させるために県民健康調査や学校検診の縮小を打ち出す国と県に対して避難・保養・医療の原則を掲げて闘っていくことの重要性を確認しました。福島だけでなく、東京や千葉などでもホットスポットの問題があって浪江闘争に立って解雇された柿沼さんとの交流で子どもを守りたいという母の言葉は私たちの心を捉えて離しませんでした。
事故から8年目となり、五輪ムードで原発や放射能を気にすることがおかしい人だと思われているのがフクシマの現状ですが事故後に日本が原発を輸出しようとした台湾やベトナムでは反対運動によって中止に追い込まれました。世界を見渡せば、「原発いらない」が圧倒的に多数派です。私たちいわき合同ユニオン、NAZENいわきは地域の課題で世界とつながるために今後も闘い続けます。
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